銀座警察が消えた街 #1 50年後の「ずばり東京」ーー見栄と風儀と痩せ我慢の街 – 清武 英利

その街を、「銀座盆地」と古手の商店主たちは呼んでいる。

 摩天楼がそびえ立つ東京のど真ん中に、高層建築を容易に許さない街が、約1キロ平方メートルに渡ってぽっかりとお椀のようにへこんでいるのだ。

 それは、はるか上空から俯瞰した銀座の有り様だが、そう言われてみると、この街は暑熱が滞留するし、冬は底冷えがする。夜更けの冷気は、日本橋や大手町、新橋の高層ビル群を伝って、低いビルの谷間に滑るように落ち、銀座に漂う霧となる。

街に馴染む「事務所」

 組長が通う事務所は、その盆地の南側、銀座6丁目の交差点をちょっと入ったところにある。5階建ての頑丈そうなビルで、表には黒塗りの高級車が1台。自前の砦である。地元の住人以外はヤクザの事務所であることを知らない。とにもかくにも、街に根付いている。

 事務所を出て、彼はゆらゆらと銀座通りへと出向く。100メートルほど歩くと、銀座最古の百貨店だった松坂屋の跡地一帯で再開発が進むのが見える。「銀座地区最大の再開発」とうたっているが、それも13階建てのビルに過ぎない。

 ここには、六本木ヒルズのような超高層ビルを建てる計画があった。だが、商店主たちが「銀座ルール」なるものを持ち出して押し返し、銀座は盆地のままで残った。

 小さな街だ。中央区銀座一丁目から8丁目まで1.1キロしかない。

 それでも、ヤクザまでが自慢する都(みやこ)だったのである。組長は九州の地方都市の出身だが、夜の銀座は、人口10万余のその郷里の人々を飲み込むほどに肥大化する。シマ内にいれば隣の芝生が青く見えることはなかった。いつも、隣の芝のはげ具合を笑っていたのだ。

 だが最近、組長の心象風景は灰色に染まっている。

 三越前の4丁目交差点あたりを見よ。いつも、違法駐車の観光バスが数珠つなぎで並んでいる。

違法駐車の観光バスが増えてきた ©iStock

 銀座通りは両脇を6.3メートルの歩道が占めている。東京都の条例は、

〈歩道の有効幅員は、歩行者の交通量が多い道路にあっては3.5メートル以上、その他の道路にあっては2メートル以上とすること〉

 とあるから、ここはゆったりとした歩道を備えた散歩の街でもあるのだが、バスを待たせて街を走り回る、中国や東南アジアの観光客たちの喧(けたたま)しいこと。

 日本人もその姿を笑えるか。彼らが闊歩する路上に目をやると、自転車やバイクが鎖につながれて、あちこちに放置されている。違法駐輪を控えたり、整理したりする気遣いが失われている。かつては人の目につかぬ場所にも、店主たちの見栄が施されていて、ゲームセンターなどは通りに出店させなかった。自動販売機さえ路上に置かせずに、ビルの中に引くように求めてきたのに――。

 事務所の近くにあった古い銀座医院はどうしたことか、カプセルホテルになっている。この街で働く者なら(もちろん組員も)一度は通った銀座の町医者だった。ツケが利いた。ひどい宿酔いの日に寄ると、看護婦は軽く眉根を寄せて「点滴するの?」と言ったものだ。「ポカリスエットに毛の生えたようなヤツでよければね」と続ける。消毒薬や薬の匂いに包まれ、固いベッドで横になっていると、遠くで街の音がした。その看護婦やセンセイたちは歌舞伎座タワーの16階に引っ越し、敷居も高くなっている。

別荘持ちのポーター

 組長の脇を1台、自転車が通り過ぎていった。またがっているのは出勤途上のホステスではないか。タクシー代を惜しんで、クラブ勤めに自転車で通っているのだ。

「それじゃあ、あまりにも夢がないだろうよ」

 思わず声が出る。そして吐息がひとつ。

 クラブの黒服にも自転車や単車通勤組がいるらしい。大阪は北新地あたりにも、自転車で登場する夜の蝶がいるらしいが、こっちは銀座のホステスだ。夢を売っているんじゃないのかい。

「社交場は華やかじゃなきゃいけない。ここは新宿の歌舞伎町でも、東京の錦糸町でもない、世界の銀座だからよ。よその街とは違うんだ」

 オヤジたちからそう仕込まれてきた。とはいっても、ホステスたちの挙措に表れる銀座の変貌は驚きを超えて、呆れるほどである。

 政財界人や芸能人、それから、ちゃんとした社長たちの足が遠のいているのは否定のしようがない。キャバクラにも押されている。パナソニックやソニーなど、名のあるメーカーまでが首切りとコスト削減に企業の命運を賭けた時期はようやく過ぎたものの、接待の軍資金である企業交際費は、いっこうに増えない。

 それが証拠に、以前は社長サンがホステスを連れて店から繰り出し、一流の食事からご飯の食べ方まで教えてやっていたもんだ。今は、下手すると、居酒屋で湿っぽく終わったりする。そこで女を口説くのか。

 そういえば、車で乗り付けるお客さんもめっきり減った。出たばかりの車を転がしてきて、路上のポーターに「頼むぞ」。格好つけてキーをポンと渡し、5000円札か1万円札を握らせていたから、一晩に30万円から50万円のチップを稼ぐ奴もいた。税金は払わないので、別荘持ちのポーターもいたのだ。

「夜の社交場」への客が減った ©iStock

 街を仕切るのは住吉会系小林会である。いまは3代目だが、別のヤクザから借り受けている「借りジマ」なのだという。厳密にいえば、日本一地価の高い東京鳩居堂前の銀座5丁目から、銀座ナインのある8丁目までの飲み屋街が、彼らの縄張りである。ちなみに縄張りの境界あたりを、「出会いジマ」と呼んでいる。看板の異なるヤクザ同士が出会うからだろう。

 アンダーグラウンドの地図の上の決めごとであっても、銀座は借りているシマだから、もちろんそれなりのものは払っている。「きっちりしたものだよ」と系列組長の1人である彼が言う。

銀座で生きるための風儀

 銀座で生きるしきたりのようなものもある。恰好について言えば、ネクタイしてなきゃ銀座に出てくるな、といった、彼らなりの風儀である。ギラギラが好きな組員もいるのだが、指輪やアクセサリーは外して来るように躾けられるという。事務所に上がるときはもちろんポケットにそれらを隠している。

 基本は、背広に白のワイシャツ。ジャケットも許されるが、ネクタイは外せない。ひげや茶髪もあまり好ましくないとされている。

「幹部の茶髪は、許されないというより、年を考えろ、って言われるなあ」

 そう語る組長も、真夏のネクタイは、そろそろやめにしてほしいと、内心では思ってはいるのだ。だが、組織としては、なおも紳士たれ、である。

 この節、休日にもネクタイをぴしっと締めて歩くのは(特に夏はそうなのだが)、240店の商店主を束ねる「銀座通連合会」の会長と、銀座のヤクザぐらいになってしまった。彼の場合、英國屋で仕立てた高級スーツに、ブランドのネクタイを締め、銀座のゼルパリか、東急プラザ赤坂のアンジェロあたりで買った靴を履いている。一足30万円から50万円だという。

 夏も冬も通じてジーパンをはいていた開高健などは、どう間違っても銀座のヤクザにはなれない。彼は小説家になってよかったと思うことの一つに、服装をかまわなくてよいことを挙げている。開高は、外出用、屋内用、魚釣用と3本持っていて、

〈ジーパンだけは拍手を惜しまない。これだけは感謝したい。何しろスリきれようが、膝がぬけようが、テカテカ光ろうが、誰も怪しい眼で見ないし、そのほうがハクがつくというのだから、いうことなし。その上、丈夫で、永持ちし、体にピッタリくっつき、しかもまったく窮屈でないとくるのだから、うれしいナ〉

 と、『白いページIII』(角川文庫)に記した。1年を通じネクタイを締めたことのない作家や、胸元を見せてテレビに映る議員諸氏は、痩せ我慢というものを知らないのだ。

 安い恰好では行けない街だということも。銀座はおカネを使わないと相手にしてくれない街だ。昨日きょう入ってきた若い衆は、銀座でまず飯は食えない。食えるのは新橋か六本木あたりだ。いい飯を食えば1人2万円、飲みに行ったら最低でも2、30万円くらいは軽くかかる。ちゃんと払っていかなきゃな。

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